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ユナイテッド・ステーツ('、通称「The Big U」)は、1952年に建造されたオーシャン・ライナーで、ユナイテッド・ステーツ・ライン所属。 総トン数53,329トンの巨大な旅客船で、1952年の処女航海でブルーリボン賞を受賞したことにより、ユナイテッド・ステーツ・ラインのフラッグシップをつとめることとなった。また、ユナイテッド・ステーツがブルーリボン賞を受賞したことにより、これまでヨーロッパの船舶が独占していたブルーリボンを10年ぶりに更新することとなった。ユナイテッド・ステーツの記録は1990年に東回り航路を塗り替えられたが、西回り航路は未だに保持している。 ユナイテッド・ステーツは同船を所有していたユナイテッド・ステーツ・ラインが貨物輸送専業となった事により1969年に営業を停止、以来フィラデルフィアのドックに係留されている。、通称「The Big U」)は、1952年に建造されたオーシャン・ライナーで、ユナイテッド・ステーツ・ライン所属。 総トン数53,329トンの巨大な旅客船で、1952年の処女航海でブルーリボン賞を受賞したことにより、ユナイテッド・ステーツ・ラインのフラッグシップをつとめることとなった。また、ユナイテッド・ステーツがブルーリボン賞を受賞したことにより、これまでヨーロッパの船舶が独占していたブルーリボンを10年ぶりに更新することとなった。ユナイテッド・ステーツの記録は1990年に東回り航路を塗り替えられたが、西回り航路は未だに保持している。 ユナイテッド・ステーツは同船を所有していたユナイテッド・ステーツ・ラインが貨物輸送専業となった事により1969年に営業を停止、以来フィラデルフィアのドックに係留されている。 ==船歴== === 建造 === 1939年9月に勃発した第二次世界大戦中、イギリスの客船クイーン・メリーとクイーン・エリザベスはイギリス海軍に徴用され、数百人から数千人の兵士をイギリス連邦諸国やアメリカ合衆国との間を輸送するとともに、軍事物資の運送に当たっていた。1941年12月に連合国の1国としてイギリスの後を追って参戦したアメリカ合衆国政府は、これらのイギリスの徴用客船の補助としてより多数の兵士を輸送可能な船舶を建造することを決定した。 設計は数々のアメリカ船舶を手がけてきた著名な技師のウィリアム・フランシス・ギブスに依頼し、建造はアメリカ海軍とユナイテッド・ステーツ・ラインの共同で行うこととなった。この船舶の建造費7,800万ドルのうち5,000万ドルをアメリカ政府が援助し、残りの2,800万ドルをユナイテッド・ステーツ・ラインが負担することとなった。さらにこの船舶は容易に輸送船に改装でき、15,000名の兵士を輸送できるように設計され、必要に応じて病院船に転用することも可能であった。 1945年8月に第二次世界大戦は終結したものの、ユナイテッド・ステーツは1950年-1952年にかけて、ノースロップ・グラマン・ニューポート・ニューズの乾ドックで建造された。朝鮮戦争が行われている最中の上に、冷戦に突入していた状況であることもあり、有事の際には軍艦として徴用される計画があったため、ユナイテッド・ステーツは攻撃を受けても沈みづらい海軍仕様で建造された。 また、火災の被害を最小限に抑えるため、内装や調度品には木製の部品が一切使用されておらず、船内の設備や家具類にはガラスや金属など、耐火性に優れた材料が使用され、客室の洋服ハンガーまでアルミ合金製であった。これにより、ユナイテッド・ステーツは海軍の耐火基準を満たすことができた。唯一木製だったのはビルジキールとギャレーの一部であり、ボールルームのピアノは耐火性に優れた珍しい種類の木材が使われた。 ユナイテッド・ステーツはほとんどがアルミ合金で作られており、鋼鉄の下層部とアルミの上層部を接合するために特殊な技術が使われた。また、アルミを使用したことで大幅な軽量化にも成功した。ユナイテッド・ステーツはパナマ運河を通過できるパナマックスであったが、船体の幅が105フィート(32m)であったため、運河の通過時には壁との隙間が2フィート(0.6m)しかなかった。 ユナイテッド・ステーツは当時最も馬力のあるエンジンを積んでいたため、後進の速度が20ノット(37.04 km/h)を超え、航続距離が10,000マイル(18,520km)に伸びた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ユナイテッド・ステーツ (客船)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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